怖そう、痛そうと敬遠されることが多い武道ですが、そんなことはありません。日常の稽古では直接の打撃はありませんし、みな楽しく自己の鍛錬に取り組んでいます。是非お気軽に近くの道場をご見学ください。あなたが空手に持つイメージが変わるかもしれません。
また、女性の道場生も多く在籍しています。
人格形成に武道は大いに役立ちます
直接打撃制、無差別による実践的空手を通して「相手の痛みを知る」ことにより、人間本来の優しさを知ることができると私たちは考えています。
また、極真会館に伝統的に受け継がれている精神である、 「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」とは、創始者である故大山倍達自身が、長年の厳しい修行人生の中で確立した極真精神です。
一方で、極真の挨拶「押忍」の精神には、尊敬、感謝、忍耐という精神があります。
心身を錬磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる極真会館での修行は、特にお子様の人格形成に大いに役立つと信じております。
■創始者
極真会館創始者大山倍達
大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年7月27日 – 1994年4月26日)は空手家であり、国際空手道連盟総裁?極真会館館長。空手十段。いまや、地上最強の武道家として伝説的な存在となっている。
「山篭り」で空手修行に励み、1947年に京都で開催された戦後初の空手道選手権で優勝。1952年にプロ柔道の遠藤幸吉四段と渡米、1年間ほど滞在して 全米各地でプロレスラーグレート東郷の兄弟という設定で空手のデモンストレーションを行いながら、プロレスラーやプロボクサーと対決したとされる。ビール 瓶の首から上の部分を手刀打ちで切り落とした時、観客は驚嘆し、「Hand of God」「Miracle Hand」などと形容された。
帰国後、牛を倒し(合計47頭、うち4頭は即死)、その映像は映画『猛牛と戦う空手』として公開された。
多くの武道家と交流し、また世界各国を巡りさまざまな格闘技を研究、直接打撃制の空手(極真空手-フルコンタクト空手)を作り出した。このエピソードは、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』などにも描写されている。
目白の自宅の野天道場、池袋のバレエスタジオ跡の大山道場を経て、国際空手道連盟極真会館を設立し、数々の名だたる弟子?名選手を輩出している。多くのフルコンタクト系各流派を生み出す元ともなった。
1994年4月26日午前8時、肺癌による呼吸不全のため死去。